picssso/ピカソ



ピカソ なんという天才なのだろうか。
彼は子供の頃、僕はラファエロのように描けると言ったそうだが、その15歳頃の作品にはモネがあり、ルノワールがあり、ゴッホがある。
そして16歳にして早くもその才能は一つのピークを迎えることになる。
この時期に描かれたものは傑作が多い。なんという素晴らしいバロック絵画。
ただし構図はどこかで見た気がする。
そこにはカラバッジョがありレンブラントがある。
若い頃の作品は有名作家の真似ばかりだ。
しかし真似たものがこれほど素晴らしいのは、才能以外の何者でもない。
この後もロートレックに似た絵を描きながら、次第に苦悩し始めることになる。


それはさておき、彼は流行遅れだった。
ノルウェーに住んでいた為に5年流行遅れだったムンクに対し、生まれが遅かった彼はさらに5年遅れている。
流行遅れの悩めるピカソ。
しかし彼には、有り余るほどの豊かな才能があった。
人の真似ばかりして、うまい絵ばかり描いてもしょうがない。オリジナルなもの、それにたどり着くことになる。


おそらく偶然産まれたのだろう。
絵の具の下塗りを青で描いていたものが偶然、作品に生まれ変わったのかもしれない。
その伏線は前の作品にもある。
ピカソ第二のピーク、青の時代である。
恐らくここで彼は色というものの持つ魔力を発見したのではないかと思う。
この発見はバラ色の時代に受け継がれる。


興味深いのは、彼が死ぬまで真似にこだわったことだ。
強烈にオリジナリティの強いイメージのあるピカソだけれど、その奥底には常に真似がある。
真似でありながらオリジナルな作品を創ろうと試みている。
その代表的なものがベラスケスのシリーズだろう。王女マルガリータはダリも描いていた。
しかし、真似で究極のオリジナルな作品を描いていたのは16歳の時ではなかったのか。それを越える作品は生涯無かったのかもしれない。
july 1994 barcerona spain


コメント
ピカソ美術館は、主に3つある。
パリ、バルセロナ、アンディーブの3つだ。
コートダジュールの小さな街、アンディーブにあるピカソ美術館は、小さいながらも、雰囲気のある魅力的な美術館であるが、ピカソの絵画を体系的に見れるのはパリとバルセロナの2つだ。
この内、パリでは比較的後期の、バルセロナでは前期の作品が充実している。
だからこの2つの美術館をまわれば、ピカソの創作の流れがほぼ解るようになっている。
一人の人物の無意識、意識について、これほど体系的に、あるいは体験的に見ることの出来る場所は他にはないのではないか?
美術、芸術が好きという人でなくとも、人間について興味のある人であれば、あるいは世界というものに興味のある人であれば誰でも、意義深い体験が出来るのではないだろうか。
それ以上のものを求める人はアンディーブに行くと良いだろう。


アンディーブに行けば、ピカソが何を愛し、何を求めて生きていったのか、そのヒントがアンディーブの街の空気のなかに感じることが出来るかもしれない。
先のテキストで、ピカソの16歳の時の作品が最高の作品だったのではないか?というのは、この文章を書いた当時の無意識の感想なのだけれど、これはつまり、このようなことではないか?と今はおもっている。
それは、ピカソは古典のあらゆる美術について学んでいったのだけれど、その学んだことを彼は100%表現する事が出来た。
そして、16歳の頃の作品が最高に思えたとすれば、彼が16歳の頃に描いたルネッサンスからバロックにかけての絵が、絵画として最高の到達点であったことを意味している。
最高の到達点に至った絵画は、それ故に解体に向かわなければならない。
ピカソは人生のごく早い時期に最高の地点まで到達してしまったが故に、絵画を解体し再生することが必要だった。
そのために抽象絵画が誕生することが出来たのであろう。
それと同様に、西洋絵画の文脈から離れた、例えばアフリカのプリミティブなアートに影響されていったのだろう。
彼が真似にこだわったのも、素晴らしい絵画のどのような部分が、どのように作用しているか探るための解体、再生実験だったのではなかったのか?と今は思っている。
july 2000 tokyo japan / text gento.m.a.t.

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