ルネマグリット あるいは脳とアートについての考察



ルネマグリット、いったい彼はどんな男なのだろうか?
暗闇の中に浮かぶ灯りに照らされた一軒の家、しかし空は昼間の青空だ。
一見して何の変哲もない絵のようなのだが、何かが違う。
その違う何かが表現されている。
彼は気付いている、日常に潜む違う世界を。
右脳と左脳が分裂するような感覚におそわれる。
理性と感性の分裂?
意味と無意味の分裂?


マグリットは右脳と左脳が分裂するような絵だと思うが、ルーベンスは前頭葉を直撃する。マークロスコとかコンテンポラリーアートの多くは、どっちかというと後頭部を直撃するみたいだ。
きっと、それぞれの絵によって、使われる脳の部位が違うのだろう。
あるものは物語として捉え、あるものは感情を刺激するという風に。

こうやって考えていくと、モダンアートやコンテンポラリーアートが理解出来ない(こういう人ってかなり多い)とか、この作家の作品は理解出来ないというのは、実は、それを理解するための脳の組織が作られていない為なのではないか?という疑問に辿り着く。
と、いうことは、ある一定レヴェル以上の絵を見る時に、自分達の側にその絵を受け入れるだけの、感じるだけの、理解できるだけの組織があれば、その絵から感動を受けることが出来るということになる。
恐らく、自分達がワケノワカラナイ、キライといって避けているものの大部分は、自分の脳、身体、神経組織の<足りなさ>からやってくるものである。
うーん、これは大問題だ。
やっぱり、もっと楽しく、豊かに、美しいものを見たい!とか思ったら、自分を鍛えるしか無いということでしょうか?

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