leonardo da vinci/レオナルドダヴィンチ 最後の晩餐



ミラノのサンタマリアデルグラツィエ教会、この場所に世界3大名画のひとつ 最後の晩餐 がある。
今は修復を終えた最後の晩餐だが、僕が行った当時は丁度絵の半分の修復を終えたところだった。
つまり絵の左半分は修復されたきれいな画面で、右半分はボロボロのまま。
だから正直言ってこの絵が正真正銘の比類なき名画なのか、僕には判断しかねるのだが、それはともかくとして、僕はあるおもしろい事実に気付いた。

それは修復を終えた美しい画面よりも、以前のボロボロの画面の方が好きだとということだ。
もしかするとそれは、テレビや本によって自分の中に作られた最後の晩餐のイメージがボロボロの画面の最後の晩餐で、きれいになってしまった最後の晩餐を、なんか違う!と思ってしまうからかもしれない。
しかし、あれだけボロボロの絵画をよく世界3大名画の一つと言ったり、世界最高傑作と言ったり出来たものだとは思う。
もっとも第二次大戦で教会の壁が破壊される前までは、今よりもずっとわかりやすい絵だったのかもしれないけれど。

で、結局のところこの絵は比類なき世界最高の名画なのだろうか?
はっきりとはわからないが、それらしき片鱗は確かにある。image/gento.m.a.t.1996
それは構図だ。

最後の晩餐は自分達の目線よりもかなり高い所に描かれている。
それなのにやけに目に自然な構図になっているし、同時に超自然的に劇的な効果も産み出している。
これはレオナルドが、低い位置から高い位置にある絵画を見上げることを計算にいれて、試行錯誤の結果産み出した方程式のようなもので、科学的で革命的なものだ。
そういった構図を産み出したから彼は比類なき天才なのだと思う。

だがしかし、構図以外の部分ではどうだろう?
これは正直言ってよくわからないのだ、絵がボロボロすぎて。
それなのにこの絵が世界最高の名画と呼ばれていたのだから、ほとんどの人は実際がどうであるのか正確にはわからないまま、そうであるに違いないと思いこんで、それを世界最高の名画にしてしまっていたことを意味する。
だからこの絵の評価の大部分は、夢や幻想や物語や過去の人々の評価によって成り立っていたことになる。
そしてその評価は、この絵が垣間見せる、比類なき名画かもしれないというたたずまいと相まって拡大していくのである。
で、今、修復が終わってこの絵は本当の評価が再び下せる状態に戻っているはずだ。
オリジナルの状態に近い最後の晩餐は、幻想や思いこみを排除して、どのような感動を僕等に与えてくれるのだろうか?

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