review EURO2000



ユーロ2000が終わった。

予想通りというか、予想以上にヨーロッパ選手権は質が高かった上におもしろかった。
それはワールドカップを上回る程である。
その理由は出場国の平均レヴェルが高いこと、相手の良さを消そうとする国が少なく、しかも早く敗退してしまったことにある。
ワールドカップともなると勝つために、なりふり構わずつまらないサッカーをして、とにかく負けないことを目指す国が多く、おもしろくない試合が結構多い。
その点ユーロは相手の長所を消すよりは、自分達の長所を活かすサッカーをする国が多く、気持ちの良い試合になったのだろう。
それはもしかしてプライドのせいか?


大会のベストゲームは、予選リーグのポルトガル対イングランドなのではないかと思うがいかがなものだろう。賛成する人はかなり多いのではないか?それほど素晴らしいゲームだった。
ベッカムを中心とした正確なロングボールを放り込む典型的なイングランドスタイルと、恐ろしいほどの正確なパス回しとテクニックを持った世界最高の中盤、ポルトガルの互いの長所がかみ合って、ダイナミックで魅力に溢れたわくわくするような試合だった。
試合は2点差を逆転してポルトガルが勝ったのだが、反撃している時のポルトガルのうまさときたら、いったいあれはなに、手品師かオマエらという感じですか。
この大会のベスト4に残ったチームもかなり妥当というか、好きなチームばかり残ってうれしいというか、どれも良いチームだった。
この4カ国の実力はかなり拮抗していて、実際の試合の結果もまさに紙一重だったけれど、その紙一重の部分にかなり重要な意味があるように感じたので、以下、検証してみたい。

portugal

ポルトガルは本当に素晴らしいチームだった。
その素晴らしさは、圧倒的なボールコントロールの巧さにある。
強いパスを正確にトラップする技術、3人4人に囲まれた状態で敵に奪われずにキープしたりパスをまわせる技術は圧倒的だし、フィーゴやセルジオ コンセイソンのドリブル、ルイコスタの繰り出すスルーパス、どれもため息の出るほどだった。
準決勝ではフランスと対戦し、延長戦になった時のハンドでPKをとられ敗退した。
あのハンドは運が悪かったという気もするが、準決勝の試合自体が自分達の長所が消され、フランスに押し込まれていたのも事実である。

特に後半、ルイコスタを下げてからは全くチャンスがつくれなくなった。
いくらポルトガルの選手がうまいとはいえ、ルイコスタの代役の出来る選手はいなかったのである。
フィーゴもうまい選手だが、ルイコスタとフィーゴの役割は全く違う。
結局のところ組織とはそういうもので、ルイコスタ中心の組織をつくりあげたから、あれ程強くなったのだけれど、それ故にルイコスタ抜きでは機能しなかったのだろう。
もしパウロソウザがこの大会に出ていたら、結果は全く違うものになっていたかもしれない。
それと、リードしている時にやや手を抜くところがあるのも事実だ。
ポルトガルにはやはり勝者のメンタリティというものがやや欠けていたのかもしれない。同点やビハインドの時にはすごく強いのだが、勝っている時の試合運びは危なっかしい。

italia
このポルトガルと正反対のメンタリティで勝ち上がってきたのがイタリアだ。
彼らの試合運びはまさにカテナチオ(カギをかける)のそれだった。
絶対に点を取られないという安心感、攻められても攻め込まれても平然と対処するディフェンス。その姿にイタリアの文化を支える職人の伝統と同質のものを感じた。
そして電光石火の高速カウンター。2人か3人だけの攻撃で楽々と点を取るスゴさ、それは一見してつまらないサッカーに見える、が、インザーギ、デルピエロ、トッティ達による鮮やかなカウンターには、やはり惚れ惚れとせざるを得ない。
とは言うものの、非イタリア人の目から見ると、RバッジオやGゾラ等スーパーなプレイの出来る、中盤系のスーパースターを沢山出場させて、ファンタジックなサッカーをみせて欲しいのも事実だ。(それだけの選手はいっぱいいる)
しかし、まぁイタリアは強かった。
決勝でも残り1分を守りきっていれば優勝だった。にも関わらず敗れた。その原因は何だったのだろう。


今年のチャンピオンリーグやJリーグの決勝、そしてユーロ2000の決勝、共に攻撃的中盤のモダンサッカー対高速カウンターの戦いになっている。
というのも、今のようなフランスやオランダ代表、あるいはバルセロナやレアルマドリーに代表される攻撃的なパスサッカーにはカウンターが有効な武器となるからだ。
しかしカウンターのチームは3者とも決勝で敗れた。これは偶然だろうか?
一つ言えることは、勝たなくてはならないトーナメントやリーグの途中まではカウンターは有効な武器となるが、決勝戦というのは失うものの無い舞台である。だから自分のリズムで強いサッカーが出来るチームの方が強いのではないかということだ。
イタリアも途中で勝ちに出るべく、デルピエロをトッティと共に並べてより攻撃的な布陣に切り替えている。
その手は見事にはまり、デルピエロが入ってすぐにイタリアが先取点を奪った。
しかし、ロスタイムに追いつかれた。
それは一瞬のスキをつかれたものだった。
後1分で初タイトル、やったと思ったのだろう。
一瞬の気のゆるみだった。
サッカーの世界ではよくあることである。
事実、フランスも94年のアメリカワールドカップ予選でロスタイムに点をとられて本体会出場を逃している。しかし、それをバネにして98年のワールドカップに勝ったのだ。
タイトルをかけた戦いの生きるか死ぬかのような場で、痛い目にあわないと、こういうことは学べないということなのかもしれない。
次の2002ワールドカップ、勝つのはイタリアかもしれない。


カントクの選手交代が明暗を分けたということもある。
イタリア、ゾフ監督がデルピエロを入れたまでは良かった。
デルピエロが途中から入ると、皆が(味方、敵の両選手、観客その他) コイツは何かやるのではないかと感じるのだと思う。
味方の選手は突然やる気になるし、事実オドロク程スムーズに組織が動き始める。
そしてもちろん敵の選手はそれを驚異に感じ始める。
観客の声援はピークに達する。
そしてゴール。
これがカリスマ的スーパースターの本当の力の正体である。

デルピエロの動き自体は本来の動きとはほど遠かった。事実、彼はこの日、決定的な場面を何度も外している。
問題はその後の選手交代だった。
活躍していたデルベッキオに替えて同じローマのモンテッラを投入したのだ。
結果的にこの交代が仇になったように思える。
モンテッラはデルベッキオのようにポストで勝負できるタイプでは無い。 モンテッラとデルピエロでは後方からのフィードを競り勝てず、ボールをキープしきれなくなった。
おまけにデルピエロはゴール勘が戻っていず、決定機を何度も外した。でもそれは今シーズンのデルピエロを見てる人ならある程度予想できたことだった。いつもならその決定力不足をインザーギが補っていたからだ。
もしもインザーギがこの時点で入っていたなら、結果はまるで違ったものになっていただろう。
なぜなら、デルピエロとインザーギは何度もタイトルをかけた重要な場面で勝ち抜いてきたからだ。
モンテッラやトッティはその経験が足りなかった。だから同点に追いつかれた後は、イタリアが勝つ気は全くしなかったといっていい。
敵であるフランスにジダンやデシャンといったデルピエロやインザーギと同じユヴェントスでタイトルを分かち合った選手がいたのはなんとも皮肉な結果だった。


このイタリアの戦いが何かに似ていると考えたら、それは職人的なブランド産業だった。
イタリアの職人達の仕事は地味である。しかし、本当に優れた仕事をするし、しかも良く働く人がいる。
そういう人々の支えを前提に、デザイナーが夢のような素晴らしい仕事をするのである。
それと同じようにイタリアのサッカーもメチャメチャ地味な中盤とディフェンスの職人の仕事が、前線のファンタジスタ達の華麗なプレイを支えている。
今大会のイタリアの評判はすこぶる悪かったけれど、やはりこの国のサッカーには文化の奥行きを感じる。

france
そして一方のフランスである。
フランスの強さを思い知ったのは、グループリーグ突破を決めた後の対オランダ戦である。
フランスは、これってBチームなんじゃないの?という、ジダン、デシャン、アンリ、アネルカ、プティ、ブラン、デサイー抜き!のチームで挑んできた。
一方のオランダはフルメンバーである。
メンバーの発表を見た時には、フランスは勝負を投げてかかっているのではないかと疑ったのだが、しかし、2軍のフランスはうまかった、オドロク程に。
オランダに全く見劣りしないのだ、ほとんどの局面において。
結局、試合は2対3で敗れたのだが、試合結果の差を分けたのは両者の経験の差だけのように思われた。
もし、ここにジダンやデサイーなどの経験を持つ、優れた選手が何人か加われば、どんなメンバー構成であってもフランスは強いであろうことを、この試合は示していた。
ルメール監督は、後にこの試合を最も満足出来る試合としてあげているが、この試合の内容を見て、この大会の、あるいは2002年への手応えをつかんだのではないかと思う。正直に言って、今のフランスの強さは群をぬいてるかもしれない。


その強さは、育成システムの強さであり、多人種、多文化が見事に融合されて機能し、力を発揮しつづけられる、文化的、システム的な懐の広さにある。
フランス代表には、古くからのいわゆるフランス人は数える程しかいない。
ほとんどの選手は移民した、あるいは移民の2世、3世である。
そのような選手が活躍出来る為には、それを受け入れる側の社会的、文化的、システム的な共通のコンセンサスが必要不可欠だ。
例えば日本で同様なことが出来るのか?と考えれば、それは絶対に無理なことがすぐに解るだろう。
つまり、日本にアフリカや南米から移民を沢山受け入れて、しかもそれらの人々がきちんとした教育をうけて、日本の文化と解け合い、日本代表として機能するということが。
なぜフランスが高いレヴェルでそれを成し遂げたのかは、パリへ行くと良く解るだろう。
パリの文化水準はオドロク程高いが、その水準を引き上げているのはほとんどが外国人だ。そのような高いレヴェルの文化を受容することが解っているから、自然に高いレヴェルを目指す外国人がパリにやってくるのだ。
それと同じことがフランスサッカーにも起きている。
数十年、あるいは数百年かけて築き上げてきた文化的、社会的コンセンサスが、今サッカーにおいても素晴らしい成果をあげつつある、そんなフランス代表である。

nettherlands

さて、優勝候補の筆頭だったオランダであるが、その敗因はどこにあるのだろう。
もちろんPKを6本中、5本も外せば勝てる訳がないのだが、その前に、ふつうに点が入っていれば勝てたはずだから、ユーゴ戦の呆れるほどの強さを目にしていた身には、なんかおかしいと感じた方も多かったのではないかと思うのだが、その原因はどこにあったのだろう。
オランダの戦術は素晴らしい。
選手の質も高い。
特に先発メンバーの質は素晴らしい。世界最高の水準にあるかもしれない。
何人かの選手の取り替えは効く。
しかし、何人かの選手の取り替えは全く不可能だ。
例えばクライファート、ベルカンプ。フォワードの替えは効かないのである。
フォワードの選手が世界最高のレヴェルで、しかも控えの選手の実力が劣っているとどういうことがおきるか?
その答えは、調子の悪い時でも使い続けざるを得ない、流れが悪い時におもいきった交代が出来ないということを意味する。

だから、ユーゴ戦のように試合の流れが明かにオランダの側にある時は強いのだが、イタリア戦のように膠着状態に陥った時、打開の糸口が見出せないのである。
ゲームにおいて試合の流れを変えることの出来る選手とは、今出場している選手に、この選手が出てきたらオレ達はやれるんだというエネルギーを与えることの出来る選手である。
もしも、先発で出場している選手がそこそこの選手だったならば、後から出てくる選手がそれ程大した選手でなくとも、気合いさえあれば流れを変えることは出来る。
しかし、先発の選手がカリスマ的スタープレイヤーだと、そして、その選手が入っている状態が最高の組織性を持っていると、流れを取り戻すのはとても難しい。
フランスワールドカップでは、あれ程のタレントを抱えるブラジルでさえ、ロナウドという圧倒的な実力を持った選手の不調のせいで、流れを取り戻せず、負けてしまった。
まして、オランダは総人口が少なく、超一流のタレントはそんなにいない。
そのあたりが、オランダがとても魅力的なサッカーをするにも関わらず、優勝にまで手が届かない理由なのではないか。


それでも、優勝出来なくとも、オランダは魅力的なチームだ。
オランダという国はとても小さい国で、しかも周りに、イギリス、フランス、ドイツという文化的にも言語的にも違うタイプの大国を抱えている為に、どういうタイプの相手に対しても有効な、グローバルスタンダードともいえる文化を発達させてきた。
このためにオランダ人のほとんどは英語がしゃべれるし、近頃話題のオランダデザインなんかも、色、形を人間の自然な欲求にこたえるような気配りがなされている。
例えば、言葉が解らなくても、その意図が自然と伝わるように出来ているのだ。
サッカーもこれと同じで、世界のどこのチームとやっても、あるいは世界のどこのチームでやっても機能できるような、ある種の普遍性を持ったシステムが出来上がっている。
それも全てにそのシステムが行き届いているのだからすごい。
80年代後半から90年代前半のACミランの黄金期、あるいは90年代後半から続くバルセロナ、レアルマドリーの黄金期を支えいぇいるのもこうしたオランダが築き上げたシステムだといえるだろう。


さて今度の大会を振り返ってみて思ったのは、実はアメリカのことである。
アメリカ合衆国ではなぜサッカーが人気が無いのかということだ。
サッカーは伝統と、古くからの社会の枠組みと文化を必然的に背負ってしまうスポーツである。
そういうもの全体がサッカーのゲームという小宇宙に擬縮されている。
そういう伝統的な文化みたいなものを基本的にアメリカ人は好まないのではないのか?そういうことだ。
もっとも、アメリカでサッカーが人気が低い最大の理由は、真剣に見ないと、サッカーというスポーツが全くおもしろくないということにあるとおもうのだけれど。
ビール片手にのんびり見るには全く向いていない。
サッカーは戦争に限りなく近いスポーツだからだ。
もしも、アメリカ人がもっと真剣にサッカーに力を入れだしたら、世の中もっと平和になるんじゃないかと思うんだけれど、どうだろう。
ユーゴ爆撃するよりサッカーした方が楽しいと思うんだけどな。

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