COTE D`AZUR/コートダジュールへ



コートダジュールって憧れませんか?
言葉の響きなのか、イメージなのか。
太陽の降り注ぐ海岸に、美しい街とお洒落な人々、リゾートライフ、バカンス。
ワタクシも憧れました、コートダジュール。
で、行ってみました、コートダジュールへ。


時は1994年、海外旅行初心者だったワタクシは、当時営業していたAOM フランス航空(安かった、でも潰れた)のパリ行きandエキストラフライトでニースまでの航空券と、1ヶ月のユーレイルユースパス(1ヶ月間列車乗り放題のパス、当時、切符の買い方さえろくに知らなかったものですから、これ持ってればとりあえず生きて帰ってこれるだろうと思い、購入)と、ショルダーバッグ一つを持って、旅立ったのでした。


で、空港に着いたのはいいのだけれど、ここはいったいどこ?ってな具合で、この空港がいったいニースのどの辺に位置しているのかがわからない。
で、とりあえず、バスに乗ればなんとかなるんじゃないの、ということでバス亭に行き、今日宿泊予定のホテル(不安だったので、一泊だけは日本で予約してきた、一泊1万円以上するホテルに泊まったのはこれが最初で最後)を、たどたどしいフランス語混じりの英語で告げると、なんとホテルの前で降ろしてくれるらしい、ラッキー!なんといっても、僕の他に客が一人しかいない、バカンスシーズンのニースでなんでこんなに空いているの?と、疑問に思いつつ旅は続くのであった。


ホテルに辿り着き(実に綺麗な部屋だった)でも、ビンボーなので、付近のスーパーで食料を買い込み、朝食代も浮かす。
しかーし、パンがまずい、いつ作ったんだこれってな具合のもそもそのパン。グレ−プフルーツジュースで無理矢理流し込む。
心が貧しくなる。
なんで、ニースまできて、こんな不味いもの食ってんだ俺は?
パリのパン屋のパンは死ぬ程うまいのに、こういう所の袋入りのパンは死ぬ程まずいのか、と学習しておきながら、ポルトガルで同じミスを繰り返すことになる。
ここにきてようやく理解する。つまり、ラテンの国では、パンは焼いて速攻食べるものだから、作り置きはしないのである。作り置きをしない文化だから、そういうものをいかに不味くならないようにするか、といった工夫が発達しない、イコール不味いという図式が出来上がるのであった。(ただし、カンパーニュ/田舎パンみたいなのは、時間がたってもおいしい)
日本やアメリカ、及び北ヨーロッパでは、これとは逆に、パン屋のパンがそこそこな味で、袋入りの大量生産パンの質が上がる。でも、どれが一番うまいかと問われれば、明かにフランスのパン屋のパンだ。


ところで、熱海は日本のニースだのモナコだのの触れ込みで宣伝していたりするが、何言ってるんだか、ちゃんちゃらおかしい、と思っていたのだけれど、実際に行ってみると、結構よく似ていて、びっくりする。
そんなに美しい街ではない、ということは、そんな所にやってくる人も、やっぱりそんなレヴェル。大したことはない。
もっとも、ワタクシ、一人旅の若者なので、熱海にそんな奴が行っておもしろいか?というようなもので、この街に対する正当な評価はとても下せません。

カンヌもモナコもスノッブすぎて、どうもしっくりこない。
期待していたマントンも期待外れ。

気に入ったのは小さな街。
アンディーブとヴィルフランシュ。
テラコッタ(この地方独特の赤味を帯びた煉瓦)でつくられた、美しい街。
細く、迷路のように続く道。
時折現れる広場、生活の匂い、市場。
歩き回るだけで、ワクワクするような街。
もっとも、歩くことぐらいしかやることも無いのだが。

陽が傾いてくると、一層街は赤味を増して美しい。
テラコッタは年月と共に、表面が朽ちていき、それがなんともいい発色になってゆく。
年月と共に、美しさや風合いを増す街。
土地の素材と空気と光が完璧に調和しているように感じられる。

港にはヨットが泊まっている。
これらのヨットは飾りではない。日常的に使っている人がいるのだ。
ここら辺の金持ちは、どうも金持ち度が違うような気がする。
肌の焼け方の年期が違うのだ。
簡単にはあのブロンズ色の肌にはたどり着けない。
2週間や3週間のバカンス客とは肌の色で明かな差が出るのであった。
同様にテラコッタを使った美しい街も、このような美しい風合いになるためには長い年月が必要なのだった。
コートダジュールは1日にして成らず。

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