forest/クローラーミューラー国立美術館 あるいは森の中へ



オランダの北西部、アムステルダムから列車(EC)で2時間程のところに、ゴッホの絵を300点近く所蔵した美術館がある。
デ ホーヘ フェルウェ国立公園の中にある、その美術館は深い森の中に建つ、ひっそりと静かな美術館である。

さて、その美術館に行こうと思い、バスに乗ったのだけれど、途中で他のバスに乗り継がねばならない。
けれど、どこがそのバス停なのか解らずにウロウロしていると、肝心の乗り継ぎのバスが出発してしまった。
時刻表を見ると、次のバスの時間までは3時間以上ある。
どうしよう、標識には美術館まで8キロとある。それなら歩いていこう、8キロなら3時間以内にたどり着くかもしれない。

僕は途中、国立公園のゲートをくぐり美術館のある方向へ向かった。
歩き始めて何十分かした頃、右手に近道と書かれた看板が目に入った。
そしてその道は、公園の森の奥深くへ続いていた。
僕は少しためらってからその道に入っていった。
近道だし、土の上を歩くほうがアスファルトの道を歩くより断然疲れないから。

森は日本の雑木林のように疎林であり、比較的明るいのだけれど、2月のオランダの空と冷たい空気のせいで、寒々しい感じがして寂しげだった。
何しろ冬の北ヨーロッパでは、毎日厚い雲がたれこめていてほとんど陽が射さないのだ。
それでも、落ち葉が降り積もって出来た柔らかな土の上を歩くのは気持ちがよかったし、ゆるやかに折れ曲がった自然の地形や、木の香りや空気は心地よかった。


けれど、やがて2時間が過ぎ、3時間近くたってもすれ違う人が誰一人として現れず、美術館の影も形も現れなくて、標識すらない状況になってくると、ものすごく不安な気持ちになってきた。
いくら山道の近道とはいえ、オランダの誇るゴッホの膨大なコレクションのある美術館に行く道に、誰もすれ違う人がいないというのはありえないのではないのか?

不安は確信に変わった。

僕は戻ることを考えた。

今来た道を戻れば、必ず元の場所に戻ることが出来る。
時計は午後2時を過ぎていた。
今戻れば、多分陽が暮れるまでに戻ることが出来るだろう。
でもそうしたら、もうこんな所には二度と来ることがないだろう、今日のミュンヘン行きの夜行のチケットは既に取ってあった。
そんなことを考えながら歩いていると、行く手に柵が見えた。

柵?

僕は突然現れた人工物を目にして、直感的にこう感じた。
左の方へ歩き続ければ、美術館へ向かうアスファルトの道路に出るに違いない。
なぜだか強烈な確信を感じた僕は、左手に延びる柵を頼りに、まだ見ぬ道路へ向かって歩き始めた。

歩き始めてどれくらいたったのだろう?
やがて車の音が聞こえ始め、段々とその音は大きさを増していった。
そうして道路は僕の目の前に姿を現した。
道の向こう側には切り開かれた林の残骸がどこまでも続いている。

そこから美術館までは、ほんの5分くらいのものだったように思う。

美術館自体は静寂に満ちた良い美術館だった。
僕はカフェでとても大きなガラス越しに森を眺めながらコーヒーを飲んだ。
お目当てのゴッホは大したことがないように感じられた。
どうもゴッホには、初めてパリのオルセー美術館で見たときに、あれほどスゴイと思ったにも関わらず、以後それ程の感動にあっていない。
しかし今では、僕はあの奥深い森の中に、非常に大切なものが存在していたような気がしている。


そう、そこには何かがあったのだ。

1997 netherlands/photo text gento.m.a.t.

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