がんばってわかりやすくした中東問題
				
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				中東って我々の日常生活から遠すぎて、今一ピンとこないというか、想像が働きにくいというか...
				
				
				特に中東問題を勉強したことが無い人にとって、中東問題やテロやアフガン爆撃やオサマビンラディンというのは、超わけのわからないものなんじゃないかと思う。
				
				
				
				実は、ワタクシ高校生の頃に中東問題にはまってました。
				
				
				それで、この前、家の本棚を整理してた時に、高校時代のゼミで使ってた新聞の切り抜きが出てきたんですけれども、もう、何年も前の記事なのに、今の記事だか昔の記事だかわからない、全く同じ様な内容なんですね、それが。
				
				
				要するに、ずーっと同じことをしてるわけです、昔から。
				
				
				で、これはどうしてなんだ??ということを、昔、散々考えましたので、この辺で解りやすく書いとこうっかな!!と思いました。
			
				
				
				
				まず、中東問題を考える時に、イスラム教とキリスト教の本質を知らないと、何もわからない。
				
				
				
				イスラム教というのは、キリスト教とほぼ産まれた場所を同一にした、異母兄弟みたいなものということを頭に入れといて下さい。
				
				
				
				
				キリスト教というと、どうしてもヨーロッパの宗教という感じがしますけど、実際には両者とも中東の砂漠に近い場所で産まれてきたのです。
				
				
				
				だから、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も聖地が一緒なのです。
				
				
				
				
				古代文明の産まれたナイル河やチグリス、ユーフラテス河流域は、現在でも乾燥地帯ですが、そう、砂漠の真ん中に広いオアシスがあるようなものですよね。
				
				
				
				もっとも、初期はかなりの森が拡がっていたらしいのですが、全部切られちゃったらしいのですね、燃料に使うために。
				
				
				
				それで砂漠化が加速したということもあるようです。
				
				
				
				雨の少ない地域で森を切ってしまったら、もうほとんど再生しません。
				
				
				
				雨の多く土壌の豊かな日本だったら、楽々再生出来るんでしょうけど...
				
				
				
				キリスト教やイスラム教が聖地にしてる、現在のパレスチナと呼ばれる地域も、同じように乾燥した環境だったと思われます。(というか、都市化、文明化のために序序に乾燥が激しくなっていってしまったものと思われます。)
				
				
				
				
				そうした乾燥した土地では、大雨による河の氾濫や、畑を潤す雨といった自然条件が、人々の暮らしにとって、最も根本的な問題だったはずです。
				
				
				
				そうした自然のサイクルを知り、法を定めて、厳格に生き方を定めていかないと、生きていけないということがあったのでしょう。
				
				
				
				
				厳しい自然条件があったから、法が出来、宗教が出来、文明が出来ていったのです。
				
				
				
				ここで出来た法は、その自然条件の中で有効な法ということですね、もちろん。
				
				
				
				ただ、過酷な自然条件の中で産まれてきた法というのは絶対的な意味合いを持ちやすいのです。
				
				
				
				なぜなら、そうしないと死んじゃうからです。
				
				
				
				ここが、この話しの最もキーになるポイントです。
				
				
				
				日本や東南アジアのような湿潤の気候では、自然条件に対する感覚が乾燥地帯と異なり、放っておいても木や草が生えてくるわけですから、絶対的なものが産まれにくく、一神教ではなく、多神教の文化が発達しやすいのです。
				八百万の神みたいな。
(多神教と一神教は、気候や風土とは無関係で歴史的な時間差に過ぎないという説もありますが、僕はそれを支持しません。なぜなら、日本はいつまでたっても一神教の国にはならないからです。)
気候的に砂漠ではなくても、極端に貧しかったり不況に陥ったりしたときにはやはり一神教的なものが出やすいです。
			
				
				
				
				一方で、厳しい自然条件の中で一旦、法や戒律というものが出来上がると、それが絶対的な正義となり、権力が産まれます。
				
				
				
				
				そして権力と正義が産まれると、それを拡大解釈して、絶対的な正義と思いこみ、それを際限なく広めてゆこうという動きが、どういうわけか必ず出てきます。
				
				
				
				俗にカリスマと呼ばれる人達や圧倒的な権力を握った人達は、大体この道を歩んで行くようです。
				
				
				
				
				十字軍やオスマントルコの支配やナチスやスターリニズムなんかは皆これにあたるでしょう。
				
				
				
				あたりまえの話しですが、権力者が正義を一方的に振りかざし、正義の力で世界を蹂躙していくと、必ず被害者が出て、恨みが残ります。
				そうすると、恨みが残った物達の中には、必ず復讐しようとする人や、権力の言うことが正しいことではなくって、本当の法や戒律はこうだという、原理主義の運動が必ず起きてきます。
(注 いわゆる厳密な意味での原理主義というのは、キリスト教の一部の宗派を指すにすぎないのですが、ここでは、原典に帰る主義のことをこう呼ぶことにします)
				
				
				
				
				
				それは腐敗した側が権力者であっても、原理主義の人達が権力者に成っても同じように、片方に正義があって暴力が有る限り、永遠に続きます。
			
				
				
				
				アメリカ合衆国の元になったのはピューリタン(清教徒)ですね。
				
				
				
				このピューリタンも、元々は腐敗した権力であったローマカソリックに対する原理主義の運動だったわけです。
				
				
				
				マルチンルターを始めとした原理主義者は、自分達が正しいキリスト教者だとして、カソリックと対立し、次第にこれを蹂躙してゆきます。
				
				
				
				ローマで花を開いたルネッサンスもこれを機に散ってゆきます。
				
				
				
				そして、ピューリタンはヨーロッパの北方を支配していくのです。
				
				
				
				
				この勢力争いのさなかに奇跡的に花開いたのが、17世紀のオランダ美術であったり、18世紀のバッハに代表される音楽革命だったりするわけです。
				
				
				
				余談ですが、デンマークなど北欧諸国では、どういうわけか西洋絵画史でいうところの新古典期にあたる19世紀半ば頃にルネッサンスが開花し、後の実存主義の元であるキルケゴールが活躍したりして、後の世界的な思想の一つを形作っていきます。
				
				
				
				これは17世紀のオランダを模範としたカソリックとピューリタンの思想対立を解決する第三の道の提示としてとても興味深いものです。
				
				
				
				
				さて、北ヨーロッパを支配してしまったピューリタンの急進派達はその正義の矛先を新天地であるアメリカへ向けていくのです。
				そうして作られた正義の国、理想主義の国、それがアメリカ合衆国というわけです。
ですから、アメリカは「とても宗教的な国」なのです。
			
				
				現在の中東問題における原因を探っていくと、あまり指摘されていないことですが、実は、ナチスのユダヤ人の虐殺に行き着きます。
(もちろん、その他の問題も複雑に絡んでいるのですが、昔の問題をほじくり返して決定的に状況を変えたのが恐らくユダヤ人の虐殺があったためだと思われます)
				
				
				
				
				
				ユダヤ人というのはエグザイル(流浪の民)で、ジプシーもそうだし、難民もそうだし、ホームレスもそうなのですが、とにかく定住していない人というのは、とかく土地の人とのトラブルが起きがちです。
				
				
				
				
				特にそうした人達の主義主張、生活様式が地元の住民と違っていると、なおさら煙たがられますますよね。
				
				
				
				
				そうした人達をスケープゴート(逃げ道)に使って、アーリア人の優位性、自己正当化を計ったのがナチスです。
				
				
				
				
				
				ナチスは自らを正義におくために、ユダヤ人を仮想敵に創り上げたわけですが、先にも述べたように、中途半端に人々を蹂躙すると反撃を受けますよね。
				
				
				
				
				そこで思いついたのがジェノサイド(殲滅作戦)です。
				
				
				
				
				全部殺しちゃえば、恨みも残らないというわけです。
				
				
				
				
				ナチスばかりが悪者に思われてますけど、このジェノサイド、実はかなり行われています。それだけ都合の良い戦略だということでしょう。
				
				
				
				
				
				中国が昔から、敵対するものは親戚まで皆殺しにするのは良く知られています。
				
				
				
				
				ちなみに毛沢東が文革で行った粛清と呼ばれるジェノサイドは数千万人規模であったと言われています。(さすが中国規模が違う!!)
				
				
				
				
				
				個人的な意見では、アメリカ軍による、東京大空襲や広島長崎への原爆投下もジェノサイドだと考えています。(そう指摘する人が少ないのはどうしてなのでしょう??)
				
				
				
				
				
				当時、戦場は南太平洋で行われており、アメリカ本土が危険に見舞われていたという話しは聞いたことありませんよね!?
				
				
				
				
				だから、この前のニューヨークのテロの時に、アメリカは歴史上初めて本土が攻撃されてあわてたのです。
				
				
				
				
				つまり、自分達は本当はちっとも危険ではなくて、日本は危険だ許せないという風潮をあおって戦争に突入したのでした。
				
				
				
				
				
				日本は確かに真珠湾に宣戦布告なく奇襲したわけですが、その宣戦無き奇襲というのも、今ではアメリカ側の意図的であった可能性がかなり出てきています。
				
				
				
				
				
				ハワイというのは、元々アメリカの領土なんかではありません。
				
				
				
				
				もちろん、日本の領土でもありません。
				
				
				
				
				ハワイはハワイです。
				
				
				
				
				
				そこを巡る争いということは、つまり、南太平洋の資源と領土を奪い合う戦争のようなものだったわけです。
				
				
				
				
				にも関わらず、アメリカ軍は、軍と民間人の区別も何もなく、無差別に爆弾を落としていきました。
				
				
				
				
				そうして数百万の命が無意味に失われていったのです。
				
				
				
				
				これは、アメリカにとっての正義の戦争でしたが、その正義は日本側とどっこいどっこいのあやしい正義でした。
				
				
				
				
				なぜなら、両者とも植民地拡大のための侵略戦争の側面が強かったからです。
				
				
				
				
				
				どうも、アメリカ人というか、キリスト教プロテスタントの人達は自分達の正義を世界共通の正義と拡大解釈する傾向にあるようです。
				
				
				
				
				第二次世界大戦の時は中国解放を正義にしてたと思うんですけど...
				でも、結局中国が選択したのは、大東亜帝国でもなければ蒋介石でもなく親ソ派の毛沢東でした。
その中国が第二次大戦後に行った政策を見れば、日本の帝国主義とどっこいどっこい、いや、もっと非道い事態(恐怖政治)になってしまったのでした。
このように、戦争とは普段僕等が考えているより、もっと微妙なもののようです。
				
				
				
				
				
				自分達の都合の良い側に正義をかざして援助するものだから、後で援助した側がでかくなりすぎて、必ず戦争が起きる。
				
				
				
				
				その繰り返し。
				
				
				
				
				最も、戦時下の日本も大東亜共栄圏とか言って、日本の正義をアジアまで拡大解釈してたわけで、人のことは言えません。
				
				
				
				
				同じ穴のむじなとはこのことです。
				
				
				
				
				
				このジェノサイドが功を奏したのか、日本人のアメリカへの反発はほとんどありませんでした。
			
				
				
				
				ちょっと話しが逸れてしまいましたが、ナチスの話しでした。
				
				
				
				
				ユダヤ人をナチスがどこかへ(もちろん、絶滅収容所のことですが)連れてってくれるのは、周辺諸国の住民にも、何となく都合の良いことだったわけですよね。
				
				
				
				うっとうしい人達を排除してくれたから。
				
				
				
				だから、ポーランドとかドイツの非ユダヤ人は見てみないふりをしていたわけです。
				
				
				
				
				けれども、事の真相が明かになるにつれ、これはけしからんという動きが出てきました。
				
				
				
				もちろん、絶対悪であるナチスを倒す西側連合の正義を誇示するための絶好の材料ということもあったのでしょう。
				イギリスを中心とした国連は、パレスチナの地にユダヤ人のための独立国家をつくることを認めました。
(注 イギリスは第二次世界大戦の前にすでにパレスチナの地にユダヤ人国家を建設することを認めています。そしてオドロクべきことにアラブの国家も同時に認める矛盾した外交を示しています。当時の植民地主義的な帝国主義外交がさまざまな利権や覇権争いと結びついてこのようなそもそもの争いの火種を撒いていたのです。)
				
				
				
				
				
				この時点で、ボタンの掛け違いが既に始まっているのです。
				
				
				
				
				つまり、パレスチナにはすでにパレスチナ人達が住んでいたからです。
				
				
				
				
				
				あまりにも大勢の犠牲者を出し、自分の同胞や家族を殺されたユダヤ人達は、当然のことながら言わば、トラウマをかかえた人達でした。
				
				
				
				
				
				そういう人達が、そもそも先に住んでいたパレスチナの人々と仲良く共存出来るはずはありません(もちろん、それ以前に住んでいたユダヤ人とパレスチナ人はふつうに共存していました。)
				
				
				
				
				
				結果として、イスラエルを創ったユダヤ人達は、その土地に住んでいたパレスチナ人達を非道いやりかたで追い出して行かざるを得なかったのです。
				
				
				
				
				
				そうして、自分達だけで、強大な軍隊の力に守られて暮らして行かざるを得なかったわけですね。
				
				
				
				
				
				当然のことながら、非道いやり方で追い出されたパレスチナ人達は、黙っていませんから、戦争に突入していくのです。
				
				
				
				
				これが中東戦争です。
				
				
				
				
				
				この辺は話しとして解りやすいと思います。
			
				
				
				
				解らないのは、なぜアメリカがイスラエルを支持したのかですよね。
				
				
				
				もし、アメリカがイスラエルを支持していなかったら、イスラエルはあれ程強大な軍事力を持つことが出来ずに戦争に負けていたでしょう。
				
				
				
				
				なぜ、アメリカはイスラエルを支持したのか?
				
				
				
				
				良く言われていることは、アメリカ経済の中枢を握る人々の多くがユダヤ系だということですよね、だからイスラエルを援助した。
				
				
				
				この指摘は当たっていると思います。
				
				
				
				ただ基本的にもっと大きな、ふつう言われていない理由があるのです。
				
				
				
				
				それは、アメリカとイスラエルが地球上で唯一、双子のようによく似た国家だということです。
				
				
				
				それはどういうことかというと、近代において、主に宗教的な理念によって、同胞が世界各地から集まり、それまで住んでいた所と違う所に理想的な国家を創り上げたというのは、アメリカとイスラエルだけだと思います。
				
				
				
				
				宗教こそ違えど、彼等は同じ様な理念の実現を目指す、同士だったのです。
				
				
				
				
				アメリカでは、元住んでいたネイティブアメリカン(インディアン)の人達が自然と共生することを善とする、非好戦的な人々だったのをいいことに、ほぼ駆逐して、完全に力を奪うことが出来たから、その後、ネイティブとアメリカの間だで戦争にまで発展することはありませんでした。(南アメリカにおけるスペインのネイティブ侵略も基本的に全く同じです。)
				
				
				
				しかし、イスラエルにおいては、アメリカの時とは違って相手がはるかに強力でした。
				
				
				
				もちろん、パレスチナ人自体は金も権力も武器もほとんどない人々です。
				
				
				
				けれども、彼等パレスチナの人々の背後にはイスラムの世界がありました。
				
				
				
				そして、そのイスラムは石油のおかげで強大な財力と権力を持っていたのです。
				
			
				この辺でイスラム社会についての間違ったイメージ、誤解を解きたいと思います。
				
				
				
				
				まず、僕等は世界で一番大きな宗教が、キリスト教と仏教だろうと思っていると思います。
				
				
				これは多分、自分達の周りにイスラム教の人がいないことと、入ってくる情報が少ないことから誤解されていると思うのだけど、世界一大きな宗教は圧倒的にイスラム教とキリスト教です。
				
				
				次いで儒教、ヒンズー教、と続き、仏教は世界の端っこの異端宗教のようなのが現状です。
				
				
				
				
				それから現在の戦いが文明対非文明の戦いみたいに言われていますが、これはとんでもない誤解です。
				
				
				
				僕はスペインや南部イタリアを旅してたので解るのですが、これらの地では、街や建物や美術に圧倒的なイスラム文化の香りがするのです。
				
				
				
				これらの街が建てられた当時、イスラムは世界の最先端の文明の一つだったから、そこらじゅうがイスラムの影響を受けているのです。
				
				
				
				
				ローマ帝国が滅んでから、ルネッサンスが起こるくらいまでの長い間、イスラムは巨大な文明国家を築き上げていました。
				
				
				
				ヨーロッパなど、辺境の諸民族だったと言っていいでしょう。
				
				
				
				そもそも、古代文明の起こったナイル河やチグリス、ユーフラテス河、それにインダス河流域も全てイスラム圏なわけです、考えてみれば。
				
				
				
				ここ数百年間、ヨーロッパの国家の起こりと、植民地的拡大主義によって、ヨーロッパ=アメリカの西側文化が隆盛を極めているけれども、世界史的に言うと、それはごく最近のことです。
				
				
				
				
				このことが解ってないと中東の問題というのは全く解りません。
				
				
				
				つまり、イスラムの人々にはプライドがあって、自分達は絶対西側の下の存在なんかではないというプライドですね。
				
				
				
				そりゃ、数百年前まで西側のかなりの部分を支配してたんだから、そのプライドは仕様がないのかもしれません。
				
				
				
				だから、イラクのクウェート侵攻を阻止した湾岸戦争の後に、アメリカがサウジアラビアに軍備を残したということにオサマビンラディン達がプライドを傷つけられたというわけです。
			
				
				
				
				ついでに言うと、なぜイラクがクウェートに侵攻したかを深く考えていくと、やっぱりアメリカや西側諸国、それにソ連の責任が見え隠れしてきます。
				
				
				
				
				そもそもの始まりは、イランにおける原理主義革命、イラン革命でした。
				
				
				
				イラン革命とは、腐敗したイスラムスンニ派に対する原理主義運動のことです。
				
				
				
				イスラムの法に基づいた、宗教と政治と教育の一体化を計ったこの革命は成功し、その勢力を押さえようとしたアメリカや西側諸国が、反対勢力であるイラクに、武器を供給したのです。
				
				
				ですから、フセインの率いるイラク軍の主力の武器はアメリカ製だのドイツ製だのフランス製だのがやけに多かったのです。
				
				
				
				
				これによって力を付けていったイラクを今度は警戒したアメリカに対し、今度は反対勢力であるソ連や中国がイラクに武器を供給していきます。
				
				
				
				
				サウジアラビアの石油を守りたいアメリカに対し、力と権力を握ったイラクは、そうして国外、つまりクウェートに出ていかざるを得なくなってくるのです。
				
				
				
				
				この辺のいきさつは、第二次大戦に突入せざるを得なくなってしまった日本と極めて似ていると思います。
				二つの大国であるアメリカとソ連との争いから身を守る為に緩衝地帯としての隣国が欲しくなったのです。
あるいは、大きくなりすぎた(しかも自分の地位と安全を守るための)軍を保持するためという目的もあったでしょう。
				もちろん、イラクにも日本にも正義はありませんし、結果が間違っていたことはあきらかです。
軍部の暴走を押さえられなくなったから戦争に突入してゆくのですが...
				乗っ取られた国の人は本当に気の毒です。
				
				
				
				
				そんなわけなので、湾岸戦争というものに、国連軍側の正義というものはかなり?マークが付くものだということがお判りいただけたでしょうか??
				
				
				
				もともと自ら撒いた種であったわけです。
				
				
				
				それは自業自得というもので、もちろん、自ら撒いた火の粉は回収しなければならなくて、それが湾岸戦争なのです。
				
				
				
				この時、日本が金だけ出して軍隊を派遣しなかったなどという非難が出されましたが、これはほんとのお門違いというものです。
				
				
				
				湾岸戦争に対する日本の責任は極めて薄いわけです。
				
				
				
				日本は武器を輸出してないわけだし、政治的な工作活動もしていないわけですから。
				そうですよね?
ついでに言っておくと、戦争の大部分は諜報活動や謀略や政治的、外向的な根回しの部分にあるそうです。
一見派手に見える戦いというのは戦争のごく一部ということです。
そしてほとんどの戦争はそういった謀略や根回しの結果として起きていくのです。
太平洋戦争などでも、日本が悪者という教育がされていて、何も知らないとそれだけを信じこみそうですが、戦争の原因は「もっと複雑なもの」だと思います。
				
			
				
				もちろん、クウェートやサウジアラビアの石油を守るために、経済的な戦略の観点から、金を出すというのは意味のあることです。
				
				
				
				
				日本は中東の石油に依存しているわけですから、自らの利益を守る為に動くことはやむを得ません。
				
				
				
				
				けれど、軍の派遣は別問題ですね。
				
				
				
				
				だから、日本は堂々と他の西側諸国に対して言ってやるべきだったのだと思います。
				
				
				
				
				それは、おまえらの責任だろ!!
				
				
				
				
				こっちはその為にわざわざ金出してやってるんだ、非難される筋合いでは無いと...
				
				
				
				
				
				元々日本は中東諸国に対して極めて中立的な立場にあるわけで、それは有効に使わないともったいない。
			
				
				
				
				アメリカとイスラム原理主義の対立というのは、両者が極めて似ているところからきていると思います。
				
				
				一方は自由と民主主義と正義を信じる聖戦であり、片方は厳格な戒律と法と神の意思に対する聖戦ですから、一見すると正反対のように思えますけど、前にも考察した通り、絶対的な正義なんてありえなくて、正義とは本来相対的であるにも関わらず、絶対的な正義のために聖戦を戦っちゃうというのは、両者とも根本的に間違ってるという面においてとても似ているといえましょう。
				
				
				
				
				絶対的な正義を信じていて、なおかつ相手の攻撃に対しては必ず報復するということであれば、絶対に戦いは終わらないわけです。
				
				
				
				もし終わらせるとしたら、ジェノサイドしかないわけです。前にも言ったとおり。
				
				
				
				そんなわけでタリバーンの殲滅みたいな議論が出てくるわけですね。
				
				
				
				ただ、逆の側からジェノサイドを考えだすと、生物兵器とか核爆弾とか出てきかねないですよね。
				
				
				
				と、いうわけで結論、平和に生きたかったら絶対的な正義を捨てて、こっちもあり、あっちもありだな!!ということに気が付かないと駄目なわけですね。
				
				
				
				
				臨機応変、いい加減。
				それではまた!!
追記
そもそもの根本的な疑問なのだけど、あの911のテロというのは本当にイスラム原理主義というか過激派の犯行だったのだろうか??
もしかするとオウムのようなとんちんかんな過激なカルトの犯行だったのでは無いのだろうか??
それを無理矢理イスラム原理主義との戦いに結びつけ拡大解釈して(それはアメリカの親保守主義の連中とヒーローを気取りたい大統領の勇気ある決断に見せかける演技と思いこみとで、開けてはならないパンドラの箱を開けてしまったのではないのだろうか??
そういう疑念がぬぐいされない。
もしそうだとしたら、とんでもないことをしてしまったと考えるべきだろう。
もしかしたら、それがしなくても良かったはずの、本当の新たなる戦いになってしまうのだから。
何か人々に多大な影響を与える行動を起こすとき、因果関係ははっきり示すべきだと僕は思う。
そうしないと、僕等は取り返しのつかない過ちを犯してしまうことになる。
TEXT by gento.m.a.t from www.int-wp.net