科学的直感あるいはマンデルブロ集合についての考察



村上春樹の 風の歌を聴け の中にたしかこのような場面が出てくる。
ふつう科学ではA=B B=C 故にA=C QED と考える。
でもパスツールはA=Cだけが頭にあって、それは科学的直感力のようなものだった。
そしてそれは歴史が証明した。

90年代、最高のクリエーターの一人、佐藤雅彦(バザールでござーるのCMで有名なCMプランナー)は、ルービックキューブをやっている時に、ルービックキューブを解き明かす設計図みたいなものが突然頭の中に現れたそうだ。
これらのことは、アインシュタインが思考のジャンプと呼んだものに近いのかもしれない。

デジャブってあるよね、今起きている出来事が昔起きた出来事と同じ様に感じられるということ。
これは誰でも経験することだ。
記憶は記憶の細部、断片を拾い集めて再構築するから、ある種の要素がいくつか重なり合うと、過去に起きたこととほぼ同一のこととして処理するらしい。
だから、あれ、前にもこんなことあったなと、突然思い出すのである。
ところが、僕は、デジャブのデジャブのデジャブのデジャブなんていうものを平気で見るのである。
つまり、こんなことあったなと思うことがあったなと思うことがあったなと思うことがあった... みたいな事が度々起こるのである。

で、これはいったいなんなのだろう?と疑問を持っていたのだが、ある時、あるテレビ番組を見ていた僕は、文字通りクラクラきたのである。
それはNHKでやっていたフラクタルについての科学番組だった。
その番組ではマンデルブロ集合の映像を流していたのだが、その映像を見ていた僕は巨大な検索マシンのように理解したのである。直感的に。
これが世界の構造だ、とてもベーシックな。
と、突然わけのわからない確信を持ったのである。

マンデルブロ集合というのは幾何学、フラクタルと呼ばれる構造を持った図形なのだけれど、その図形の細部を拡大していくと、様々な図形が現れては消え、やがてまたその細部に相似的な図形が現れるのだ。
しかもその複雑で深淵な図形の集合は、オドロク程単純な数式から導き出されている。
世界を貫く基本的な法則というものは単純な程信頼性が高いような気がしているのだけれど、どんなものだろう。

それはまるでバッハのフーガのように単純で複雑で全てを含んでいるように思われる。
と、まあこれはあくまでも科学的な直感で思うのだけれど、この体験から導かれる仮説は次のようなものだ。

世界の様々な細部は相似形である。
原子のようなごく小さな物質から宇宙のような大きな空間まで、世界を構成するあらゆる空間軸、時間軸の細部で相似形が存在するということである。

このことを科学的に証明するのはとても難しい。
実際にどうやって証明したいいのかわからない。
けれど、このことは恐らく歴史が証明するのではないかと考えている。直感的に。

ところで、科学的な直感力と、宗教的な、例えば神が降臨したとか、神のお告げがあったとかいうのって、なんだかとても良く似ている。
僕はこの二つは基本的に同じ仕組みで出来ていると思っているのだけれど、オウムの麻原のような何、無茶苦茶なこと言ってるんだ!という根拠のない、嘘くさい話と、科学的な直感の違い、それはその人に積み込まれた情報の質の違いなのだと思う。

ジャンクを食べて、ジャンク情報をつめこんで生きていると、科学的直感(宗教的直感)のような仕組みになったところで、出てくる仮説(あるいは神のお告げ)は所詮ジャンクでしかないということなのだろうと思う。
だから、この情報が溢れる現代で、どんな情報を選択し、どんな風に自分を組み立てていくのか、何が本質で何がジャンクなのかということを見極めて生きていく以外に、馬鹿げたシステム(それが宗教であれ、会社であれ、国家であれ、反社会的組織であれ、科学者集団であれ)から身を守る、あるいは社会を守ることは不可能なのではないかと個人的には思う。

もっとも、勘違いということはよくあることで、注意しなければいけないことは言うまでもない。

科学的な発見と思うことのほとんどは勘違いだし、でも人が勘違いだと思うものが実は大発見!!ということもあるから難しい。

ところで、この世界の細部相似性仮説を思いついて以来、僕は世界のあらゆる部分に相似形を発見して楽しんでいる。
物語や詩におけるメタファー(隠喩)なんていうものもまさに、この世界の相似形を指しているように思われる。
ユングが夢に現実世界の投影、意味を見いだしたのも似たようなことなのだろう。
僕等が何かに我を忘れて夢中になったり、熱狂したりするのも、この相似性による置き換えの為のような気がしている。

僕自身、この相似性の発見によって信じられない程の多くの出来事の関連性、相似性、アナロジーに気付いて、全く新しい世界観を構築しつつあるのだけれど、このことは例えば非専門家が専門家の話を理解することや、異なる分野の問題、新しく起きた問題に対処する時に極めて有効な手段になる。

世界の細部が相似形だとすると、我々は全く別のものを知ることによって、そのことの本質により近づくことが出来るかも知れないのだ。
それは例えば、定食屋のおばちゃんのあげるコロッケが世界のどの哲学者が掲げる思想よりもより深淵で意味深いものである。といったことなのかもしれない。笑

追記

なぜ直感が大事なのか??

THE USER ILLUSION. cutting consciousness down to size /TOR NORRENDERS 1991

ユーザーイリュージョン 意識という幻想/ トールノーレットランダーシュ 柴田裕之訳 紀ノ国屋書店 2002

と、いう本を読んで判明した!!

「人間が1秒間に入力している情報は約1100万ビットあまりで、そのうち意識にのぼる情報は最高でも40ビット」!!あまりと100万分の一にも満たないらしい。

つまり、我々の意識しているものなんて、しょせん実体験の100万分の一以下のものに過ぎなかったのである。

自分自身が経験していることは、私が意識していることよりも、遙かにスゴイ!!のだ。

IDEA