イラク戦その後


どうやら、イラクはまだ戦争中のようだ。
アメリカの圧倒的な戦力による攻撃を受けて、イラクは早々と首都バクダッドを明け渡し、アッという間に戦争は終結したかに見えた。


でも、おそらくそれは、イラクにとってはあらかじめ折り込み済みのことで、圧倒的な規模の敵に対しては、真正面からの戦力で対抗しても駄目なのはアキラかで、むしろ、さっさと負けて逃げ出したかに見せておいてゲリラ戦やテロで闘い続ける。
そういう作戦だったようだ。




日本政府は、イラクに自衛隊を派遣しようとしているようだが、イラクではアキラかに戦争は続いている。
中東の衛星テレビ局アルジャジーラでは、オサマビンラディン師の声明として、イタリアやスペイン、ポーランド等と並んで日本が攻撃対象だとはっきり明言されて放送されているそうだ。
日本政府は、アメリカに対してイラク戦支持を明確に打ち出しているわけだから、考えてみれば、これは当然のことで、そこに軍隊を派遣するということは、即ち「イラク戦に参戦する」ということである。

これが日本国憲法に触れることは小学生でもわかることで、イラクに自衛隊を派遣出来ないのは当然のことで、これは議論の余地が無いと思う。




テロというのは、基本的に「非対称な戦争」である。
今後、大国と小国の間で戦争が起こった場合、かなりの部分が、このテロというカタチで戦争が継続されていくのだと思う。

それは、米ソ冷戦終結後にパワーバランスが変化したことと、ソ連という後ろ盾が無くなり、重火器や兵器が小国に流れにくくなったこともあり、実際に勝つことが難しくなったことなどの原因があると思う。
ただ、テロというのは、とても非道い行為でとても許すことが出来ないような行為(どんな大儀があろうとも、赤十字や国連に爆弾テロをするなどということが許されていいはずが無い!!)なのだが(戦争においては全てが非道い行為なわけだが)それが、戦闘行為としての効果は高いのは事実だ。




前にも指摘した通り911のテロが示した重要な事実は、「世界のどの場所であっても、非対称な戦場になりうる」ということだったと思う。

イラク戦の前に、コラムで懸念したことは、残念ながら、そのまま現実として歩み始めているように思える。
世界にパレスチナを、もうこれ以上増やしてはいけない。

そんなわけで、平和のためのデザインを考えてゆきたいと思います。

続く

BACK