続 平和のデザイン

イラクの人質問題が騒がれていた。
ものすごく色々な意見が飛び交い、注目を集めたこの事件も、やがてみんな飽きて忘れていくのだろうと思う。

けれど、この事件はきっと様々な「大事なこと」を含んでいると思う。
だから、平和のデザインについて検証していきたいと思う。

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一部の政府関係者やその他市民から、あんなに危険なイラクに丸腰で行って捕まったのだから自業自得で、迷惑だし、冬山遭難の救助でも自己責任で払うのだから自己責任で救出費用も自分で払えなどという意見が聞かれたが、それは妥当だろうか?

政府は退避勧告を出していたのだから、民間のボランティアやジャーナリストは直ぐに国外退去するべきで、それを破って滞在したのだから自業自得だという意見も多かった。

僕も、あれほど危険な状況のイラクに入るのは自殺行為としか思えないという意見には賛成だ。

けれど、彼等の行為が意味のないものだったのか?というのは、はっきり違うと思う。


もしも、戦争が起きている危険な地域に、インディペンデントなフリージャーナリストが入れないとしたら、僕等に伝わってくる情報の全部は、政府(それはアメリカであれ、イラクであれ日本であれ)から上がってくる「本当かどうかわからない都合の良い情報」だけになってしまう。

僕等は、そのような「都合の良い情報」が、歴史において常に戦争を引き起こしてきたのだということを知っているはずだ。

第二次大戦の時に、日本は「南太平洋においてアメリカ軍に勝ちまくっていた」のであり、イラク戦の前には「フセインが大量破壊兵器を隠し持っていてそれを使おうとしていた」のだ。(なんと大量破壊兵器らしきものを積んだトラックが秘密裏に立ち去っていくスクープ映像まで、僕等はこの目で見たのだ。あれは何だったのか?このように僕等は誰かに意図的に操作されている可能性が常にあるということを常に頭に入れておいてほしい。)

今、これらのことを信じている人が居るとしたら、よっぽどの変人だろう。
けれど、それらが言われていた時に、それを疑っていた人は5%もいただろうか?

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だから、僕は自分の目で見、自分の耳で聞き、自分の身体や心で感じたことしか信じないようにしている。
一番大切なのは「一次情報」に会うことだというのが大前提で、でも、僕等は、忙しく、やれることは限られているので、他の人が体験した一次情報を必要とするのだ。

特に、戦場などの危険な場所へ、僕等のほとんどは行くことは出来ない。
それでも、一部のジャーナリスト達は、命を懸けて、真実を伝えるために行くのである。
彼等は、一次情報が自分にとって、自分達にとって、世界にとって必要であることを心の底から知っている。

それがあるから、僕等は、プロパガンダではない生の情報を知り、判断することが出来るのだ。
これが、ジャーナリズムの本質で、命をかけて真実を伝える彼等が捕まって、その救出費用が必要だというなら、僕は進んでお金を出しますよ、あたりまえじゃないですか?

それが民主主義や自由にとって大前提なことを解っていないのか、そもそも民主主義や自由を求めていない人達が日本にはかなり居るみたいだ。(しかも、得てしてそういう人達が、北朝鮮のような非民主的な国家の脅威を訴えているのだ。彼等は程度の差こそあれ、あなた達と同じ穴のむじなだと判らないのだろうか?)

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アメリカのパウエル国務長官だって、人質になった3人の日本人を勇気のある人達だと称賛していた。
誰かがやらなければならないことをリスクを背負ってやる人達が居る。
それを、アームチェアーに座りながら鼻で笑うのか?
自分は安全に囲まれた中でただ非難するのか?

政府にとっては、彼等の全てが迷惑だったに違いない。それは間違いないだろう。
けれど、それは僕等にとって迷惑だったわけじゃない。
勇気のある行動とリスクを背負って生きる人達が引き起こした、リスクなのだと思う。
僕は、そういうリスクを背負って真実を伝えようとしている人達に対して、最大限の尊敬をしているし、それを馬鹿にする人達を最大限に軽蔑している。
そして、そのような必要なリスクについての分担に関して、市民は自覚が必要だと感じている。
「平和や民主主義や自由はただでは買えない」のだ。
それは、大勢の人々が日々それを追い求めた生活・行動をして初めて可能になるのだ。

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時に、武力は治安維持に必要な力になるのかもしれない。
けれど、長いスパンで見た本当の治安維持・平和というのは恐怖のためになされるのではない。
それは、人々が笑って生きていける生活を手に入れて初めて手に入るものだ。
そして暴力を、人を傷つけるのではない、違う形に昇華させることが出来てはじめて可能になるのだと思う。

イラクのストリートチルドレンの心や生活の援助に行った高遠さんの行為は、そういう意味で、「平和のデザインとして限りなく正しい」と思う。

最終的に本質的に役に立つもの、それは彼女のような、人の心にぐっとくるデザイン・方法論・生き方なのだと思うし、それが平和や幸福や信頼を作っていくのだと思う。

だから、僕等は軍を派遣するよりも、彼女達を支援した方がずっと平和のデザインには役立つのだ。

もちろん、彼女達を支援したからといって直ぐに石油の利権が確保されるわけではないかもしれない。
けれど、十年後・数十年後を考えた時、彼女達がおこなった行為は、大きな利権になって還ってくるのではないかと思う。


僕は国のために生きているわけでは無いし、組織のために生きているわけでは無い。
自分のために生きている。これが、僕のゆずれない大前提です。

そして、自分のために生きているが故に、世界の平和が必要なのだ。
それは国家や政府のためでは断じてない。
自分のために平和をデザインしようとする人達は、ちゃんとやりますよ、なぜなら「それが自分のため」だからです。

text /gento.m.a.t 04.18 2004

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戦争とプロパガンダについて書かれたオススメの本

アンヌモレリ「戦争プロパガンダ10の法則」 

戦争とは常にこうした嘘の情報(広告)で起きる。分かっていながら騙されるいつもの手口を解説した本。僕達はイラク戦の前に、大量破壊兵器が何処かに運び出されるらしき映像を見たはずだ。今、この映像は「やらせ」だったと誰でも判る。でも、当時この映像を本気で疑った人がどれだけ居ただろうか?(gento.m.a.t)

E.W.サイード「戦争とプロパガンダ」 

ニューヨーク在住だったアラブ人、故E.W.サイードが語るアメリカとアラブとニューヨークと戦争・テロに関するエッセイ。どちらの側にも立ち、どちらの側にも立てない彼が、本当は何が起きているのか?を問いかける。 (gento.m.a.t)

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