時には世論に反対することも必要だ。(81%の人達に反対します!!)
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今日、佐藤雅彦の今売れてるベストセラー「日本のスイッチ」を読んでいて、一カ所とても気になった項目があった。
それは、あなたは死刑制度の廃止に賛成ですか?反対ですか?という質問なのだが、なんと死刑制度の廃止に反対つまり死刑制度に賛成な人が81%も居たことだ。
僕は少なからずこの数字にショックと危機感を覚えている。

僕は、たとえ19%しか支持者がいなくても、死刑制度には断固反対である。

それにはいくつかの明確な理由があるけれど、一つには、誰も人が人を裁ける(殺す)ほどえらくないのではないか?ということがある。
あなたは、誰か悪いことをした人がいたとして、その人が悪いことをしたからといって自分の手で殺せますか??
死刑制度というのは、私が実行する替わりに誰かに殺させるものである。ということをどれほどの人が解って死刑制度に賛成しているのかをまず問いたい。
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それでも、犯罪防止のためならやむを得ないと思っている人には、次のことを問いたい。

それは、死刑制度のために犠牲になった無実の人と、死刑制度のために凶悪犯罪から救われた人が実際のところどっちが多いのか?という根本的な問いだ。

死刑制度のために誤って逮捕されて犠牲になった人も数百人数千人といるだろう。冤罪は死刑になってしまったら、もう取り返しがつかない。
そこまでは良く議論されるところだ。

ところがもっと現実的に非道いのは、政治目的や他の目的で死刑制度を悪用して殺している例というのが想像を絶するほど多いのだ。
例えば、中国が文化大革命の時に粛清と称して主に政治犯を死刑(あるいは飢餓その他によって結果的に死亡させた)にしたのは数千万人規模と言われるし、その他にも数十万人、数百万人規模の「都合のよい死刑」が歴史上・地球上のいたる所で行われている。
その合計は1億人を遙かに突破するだろう。
それよりも死刑制度のために救える人は多いだろうか?

答えはアキラかなのだ。
死刑制度がある方が、無実の一般人が死ぬ確率が高いことは歴史が証明している。

歴史が証明していることは、これからもそうなる確率が高いことである。
それ故に違う方法論が必要なのだと思う。
だから、僕は死刑制度に断固反対である。

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正義というのは、基本的に相対的なものである。片方の人が正しいと思っていることでも、もう片方の人が正しいと思っているとは限らない。
それを無理矢理片方の側の正義を押し通すのが、死刑=人殺しである。


では、凶悪犯罪を防ぐにはどうしたら一番良いのか??この答えも既に出ている。
それは「終身刑」を導入することである。
自分達の安心した暮らしを守るために「犯罪を冒さざるを得ない凶悪な人達を隔離する権利」これは、我々一般市民の側にあると思う。

死刑じゃなくて終身刑。
それが21世紀のデザインだと思います。

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世論に反対その2

小泉政権が誕生した時に、世間の人々が諸手をあげて小泉首相を支持していた時に、僕は一人、小泉くんは軍属だから人気が出るとやっかいなことになると思い、友人や知人や家族やらにその話しをしたけれど、みんな話しは聴いてくれたのだとは思うけれど、誰一人としてその意味を「解った」人は居なかったのではないか?

その事実に対して僕はすごく反省している。
そして、現在の世界は僕がその頃予想していた心配よりも遙かに悪くなっている。

そのことに対して、「仕方がない」とは思えない。
なぜなら、僕はこうなることを「かなり予想していた」し、「止めるチャンスがある時にきちんと動かずに放っておいた」からだ。

なぜ自分達は誤ったか?どうすれば状況を改善していけるのか?真剣に考えないといけないだろう。

もっと事実を知る努力、誰もが事実に簡単にアクセスする方法を日常に拡げて、人々がごくふつうに態度を表明できるような仕組みを作らなければいけないと思う。

死刑制度もきっとそうした問題の一つなのだと思う。

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text / gento.m.a.t 20APR 2004

平和のデザインについて考えるオススメの1冊

デブラ・ニーホフ「平気で暴力をふるう脳」

平和のデザインを考えるにあたり、絶対に読んでおきたい一冊。暴力は遺伝だけで決まるのでもなく、環境だけで決まるのでもなく、両者が相互に作用して脳の仕組みが損なわれていくプロセスによって起きる。その仕組みを最新の科学の知識によって解き明かしていく。アメリカという国は実にしょうもない国だが、このような優れた書き手がいるというのもまたアメリカである。希望は残る。(gento.m.a.t)

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