2002ワールドカップそして決勝へ!!
いよいよ決勝までやってきました!!
さすがにサッカー見すぎで頭がいっぱいいっぱいになってきた。
でも、もう準決勝だから間が空くので助かる。
韓国の健闘には感心するけど(監督が超一流の人になって一年半でこれだけ強くなったとは!!)いささか政治的な意図が目に付くようになってきた気がする。
どう考えても韓国は準々決勝で負けていた。
スペインが延長戦で放ったシュートはあきらかに得点で、これをボールがゴールラインを割ったなどという明かにでたらめな判定をした副審がいてノーゴール。
見えにくいところならともかく、副審はボールと平行の位置に移動してるのでラインから出たか出ないかくらいわかる。
国際試合の経験があるの?みたいなどこの国だかわからないような審判は買収されてるか上から圧力をかけられていたと疑いたくなる。
国際的に地位のある審判ならたとえ買収をもちかけられたとしても自分の地位と名誉のために断ると思うけど(見つかったら永遠に追放だからね)、普段国際試合とかレベルの高いリーグで笛を吹いてない人達は審判の仕事で食べていけるわけじゃないから、お金もらっちゃえば、審判を追放されても痛くもかゆくもない。
今回のワールドカップは審判の誤審が特に目に付く。
レヴェルの問題なのか、政治的な意図なのかわからないけど...
FIFA(世界サッカー協会)の時期会長候補争い、勢力争いの結果なのか、イタリアへの判定は目に余る程かわいそうだった。(少なくとも誤審でゴールが三つくらい取り消されていた!!)
韓国はソルトレークオリンピックのスケートショートトラックで、誤審による金メダル剥奪のことを散々言ってきたけど、今度は逆の立場になっている。
もちろん活躍してるのは選手達であって、彼等に悪いところは全く無いから、彼等への評価が微妙になりそうで心配している。
さすがに準決勝は審判の地位と名誉にかけて、できるだけ正しくんだという気概が感じられてほっとした。
審判とは司法とは何かと考えさせられる大会だった。
それぞれの国でそれぞれ判断の基準は全く違うわけで、そういった人が集まって開かれるのがワールドカップなわけで、そこには果てしなく大きな、でも超えてほしい共通の価値観がある。
ところで、そもそも今回のワールドカップに何を一番期待して見ていたかというと、韓国と日本のチームの変化だった。
日本や韓国は儒教社会で上からの命令を聞かないといけないとか、目上の人には逆らえないという構造や、村社会的な地縁血縁関係、系列、学歴がものをいう社会で、韓国は日本に比べるとそれらが一段と激しい。
そして韓国サッカーの低迷はそういう社会的な構造問題が表面化したものでもあった。
日本のサッカーは前回大会で全敗して、これではいけないといち早くフランス式の合理的で論理的なシステムにチェンジしていったんだと思う。
日本の特徴は育成システムが素晴らしい成果を挙げていて若い世代に素晴らしい技術と戦術理解をもった選手達が登場していることにあった。
でも、以前みたいに上下関係の激しい社会では、彼等若い選手達は本当の力を出せなかったんだ。
中田英寿なんかは昔から先輩でも呼び捨てにしたり指示を出したりしてたから皆から浮き上がってたけれど、そういうことって日本的にはふつう考えられないでしょ。
中田がそれでひとりだけ世界的な選手になって、彼だけが特別な存在としてカリスマ化されていったのだけど、組織というのは必要な時に気付いた選手が指示を出していかないとまずいんだ。
だからトルシエがやったのは徹底的にコミュニケーションをはかるということで、試合中にディフェンスが崩されていったときに、それまではディフェンスリーダーに対して忠実だった年下の中田浩二あたりが、はっきりとリーダーの宮本に対して、そのままの選択をしていると失点を重ねるということをきちんと話して、納得して日本のディフェンスは甦ったんだ。
そういうことって今までの体育会的な日本のスポーツでは考えられなかったことだと思うんだよね。
そういう日本的な社会システムに風穴を開けるようなサッカーチームだったから応援したんだ。
韓国の場合はそれがもっと極端で、あの国は極端なエリート=官僚化社会だから、サッカー選手も幼い頃から選抜されてふるいにかけられた人達が行うスポーツになっていて、そこには地縁や血縁もからんでいたんだ。
それが韓国サッカーの発展を妨げていた。
そして宿敵日本に対して韓国が全く歯が立たなくなると、このままではまずいと思ったらしく、世界一の監督の一人であるオランダ人のヒディングを呼んだのさ。
この人がやったのは封建社会を最先端のシステムに180度チェンジすることだった。
ポジションに縛られない有機的で臨機応変なシステム。それに対応するために選手達と監督がシステムを理解しコミュニケーションを深め、さらには科学的なトレーニングによるフィジカル強化をはかり(だからあれほど韓国の選手達が動いてもばてない)
選手の起用は有名無名血縁や地縁と無関係におこなわれた。
精神面と根性や強さだけが強調されてきたサッカーから、具体的にどこで力を抜き、勝負をし、試合の時間を通じてコントロールしてゆくかを学んでいった。
そして見事に結果を出した。
今回の韓国のチームは世界中に衝撃を与えたと思う。
けれども、サッカーのフィールド以外の場所では、相変わらず韓国的な価値観が幅をきかせて試合結果そのものをコントロールしてしまっているように思える。
韓国は本当に変われることが出来るのだろうか?
これは突発的な事故なのか?それとも一人のカリスマを崇拝した結果の夢物語だったのか?それはこの後にあきらかになると思う。
そして日本は...
有機体的な新しいシステムの有効期限は大体3年だと思う。
それ以上は難しい。
前回大会と同じシステムを維持そようとした前回のチャンピオンチームのフランスとオランダは今回悲惨な結果に終わった。
そして今回は圧倒的な個人の能力を発揮したブラジルと肉体と精神的なタフさが売りのドイツが残った。
準決勝の試合を見て、システムに縛られるサッカーよりも個人がアートを表現できるブラジルの個人技に心を奪われた。
彼等のプレーにわくわくした。
トルコの技術も素晴らしかった。
自分が見たかったのはこういうサッカーなのだと心の底から思った素晴らしい試合だったように思う。
チーム戦術や戦略やそういうものをうち破る圧倒的な個人技。
そういうものを犠牲にしてチームに奉仕した結果、輝くことのできなかった多くの選手が輝く日はいつやってくるのだろう?
2006年ははたして...